恭遠にクリスマス休暇をどこで過ごすのかという書類を提出したその夜。マスターが部屋に訪ねてきた。
彼女が部屋に来ることは珍しくない。自由になった時間、暇さえあれば八九の部屋に訪れては話をしたり、一緒にゲームをしたりして過ごしている。なので八九も特に拒否することもなく部屋にあげた。
ゲームの続きをするかと訊くと、彼女は首を横に振った。それなら適当に茶を飲みながら過ごすかと提案するが、彼女はそれも拒否した。
妙だ。
いつもならどんなことでも喜んで応じてくれるのだが、目の前の彼女は少し様子が違っていた。こちらをチラチラと見て、何か言いたげに口を開いては閉ざして俯いている。
八九は何かあったのかと訊くべきか考えた。もし悩みがあるのなら相談に乗るし、力になってやりたいと思っている。一応彼女の貴銃士で、彼氏なのだから当然だ。だからといって躊躇している相手に話すよう促すのも如何なものか。躊躇しているということは、自分にも話し辛い大きなものを抱えているということだ。それを無理矢理聞き出されるのは彼女も嫌だろう。
しかし、普段から何でも話してくれる彼女が切り出せずにいる話とは一体何なのだろうか。
(まさか……別れ話か!?)
八九は身構えた。
マスターと恋人関係になってからまだ一ヶ月も経っていない。デートは片手で数えられる程度。自由時間は極力一緒にいるようにしているが、お互い任務やらお使いで時間が取れないことも多々ある。そんな限られた時間の中で彼女に嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。
(マジかよ……俺、クリスマス前にフラれんのか……)
クリスマスは大切な人と幸せな時間を過ごす日だ。当然八九もマスターと一緒に過ごすと思っていた。良い思い出が残せるように自分なりに色々と考え、準備をするはずだった。
それが今、脆くも崩れようとしている。クリスマス前に彼女にフラれた哀れな男として、一人で過ごすのかと。
急に心臓が音を鳴らし始め、八九は今すぐこの場から逃げ出したいという気持ちと葛藤しながらマスターの言葉を待った。
「あの、八九さん……」
意を決したように彼女がやっと声を発した。八九はぐっと息を飲んだ。
「クリスマスにサンタさんになってくれませんか!?」
前のめりになりマスターが尋ねた。
「……は?」
何の企みも感じられない真っ直ぐな目で問われた八九は、間抜けな声を出すことしか出来なかった。
・・・
「みんなー! サンタさんが遊びに来てくれたよ!」
マスターが明るく呼びかけると、居間で遊んでいた子供達が一斉に彼女の方を向いた。
部屋に入るよう促され、半ば嫌々、半ば諦め状態で子供達の前に出る。
彼らは先まで離れた部屋にまで届くほど騒いでいたのだが、自分を見るなり恐ろしいほど静かになった。不思議そうに、中には怪しむような目で皆こちらを見ている。
(やめろ。そんな目で俺を見るな)
八九は助けを求めるようにマスターにアイコンタクトを送った。けれど笑顔でそれを躱された。
サンタになって欲しい。マスターにフラれることを覚悟したあの日の夜、八九はそんなことを頼まれた。理由を尋ねると、彼女は事情を説明した。
マスターは先の革命戦争により両親を亡くし、孤児となった。孤児となった彼女は故郷から離れたところにある、教会に併設された孤児院に身を寄せることになった。そこでは毎年クリスマスになると院長がサンタの格好をして子供達にプレゼントを贈るのが恒例となっていた。しかし、院長が病により失明してしまいそれが難しくなってしまった。それを手紙で知って、なんとか出来ないかと考えた。
考えた結果、八九に白羽の矢が立ったということだ。
(いや、明らか人選ミスだろ……)
羊のようにボリュームのある白くて長い髪と髭。遠目で見てもサンタとわかる真っ赤な服。無理矢理背負わされたプレゼントが詰められた大きな袋。生涯絶対にしないと思っていた愉快な格好を鏡で見てから、惚れた弱みで彼女の頼み事を聞いてしまった自分を恨んだ。
けれど自分がやらなければ彼女は別の貴銃士に声をかけただろう。そうなると、一緒に孤児院に行くのが自分ではなく別の誰かになってしまう。面倒なことをしなくて済むという点ではいいが、彼氏としては気が気ではない。士官学校から孤児院までは列車で数時間かかる上に、街から少し離れたところにある。日帰りは難しい。泊まりになる。と、なると自分以外の誰かがマスターと一晩過ごすことになる。任務なら問題ないが、プライベートなら問題だ。それもクリスマス。何かが起きる可能性も否定出来ない。
そもそも、折角のクリスマスに彼女と一緒に過ごせないというのがあり得ない。
どのみち、八九が引き受けるしかなかったということだ。
「サンタさん。みんなに挨拶しましょう」
サンタクロースらしい振る舞いをしないのを見かねて、マスターが耳打ちした。
「メ、メリークリスマス……」
自分なりにサンタを演じようと子供達に手を振った。
無反応だった。
「ほらみんなもサンタさんにご挨拶しよう」
マスターが空気を変えようとするが、子供達は呆けているか、ひそひそと話をするばかりで全く歓迎ムードにならない。
「姉ちゃん、それサンタさんじゃなくて八九だよ」
少年が八九を指差し言った。
「ち、違うよ! 八九さんじゃないよ! サンタさんだよ!」
「えー! 絶対八九だよ。だって八九っぽいもん」
マスターがどんなに言い聞かせても、子供達は目の前のサンタを【サンタクロース】と認めなかった。
(八九っぽいってなんだよ!? あと指差すな。呼び捨てすんな!)
そう叫びたかったが、ここで怒ってしまったら折角のクリスマスムードが台無しになってしまうと思い、拳を強く握って我慢した。
居間に飾られたクリスマスツリーや壁一面の飾りは、全て子供達が今日のために準備したものだ。ずっとこの日を楽しみにしていたに違いない。自由すぎる彼らの相手は骨が折れるが、大人として堪えるしかない。
「八九なんでサンタの格好してるの?」
「八九髭似合わない」
「ねえ、もうお姉ちゃんとチューしたの?」
矢継ぎ早に子供達から言葉を投げかけられる。サンタの雰囲気を出すためにあまり喋るなとマスターからアドバイスを受けていた八九は、肘で彼女を小突いて助けを求めた。
マスターはマスターで、彼らの興味がサンタよりも八九本人に向いていることに戸惑っている様子だった。どうしようかと意見を求めるように目配せをしてくる。
「こらこら。サンタさんを虐めてはいけないよ」
その声は背後から聞こえた。
振り向くと、そこには杖をついた男性が立っていた。孤児院の院長である。傍らには同じく孤児の面倒を見ているシスターが彼の目の代わりになるように立っていた。
院長が注意をすると、子供達は先までとは打って変わって大人しくなった。その様子に、マスターも安心したようで胸を撫で下ろした。
「どうもすみませんでした。子供達の無礼は保護者の私が代わってお詫びします」
「……ああ、いや、別に……」
「遠路はるばるお越しいただいたのに碌なおもてなしも出来ず申し訳ありませんでした。お詫びと言ってはなんですが、プレゼント配りは私もお手伝いしますよ」
そう言うと、彼はマスターが用意した椅子に腰掛けた。
「サンタさん、プレゼントを配りましょうか」
「お、おう……」
マスターに促され、背負っていた袋の口を開ける。
大きなプレゼントはない。どれも小さく、一見するとあまり良い物が入っていないような気もする。けれど中身は全てマスターが一人一人のことを考えながら選んだ物だ。彼女が心を込めて選んだ物に【価値のない物】など一つもありはしない。
マスターと、院長に付き添っていたシスターは袋からプレゼントを取り出すと、そこに書かれている子供の名前を呼んだ。
「はーい」
呼ばれた子供がこちらに駆け寄ってくる。ケンタッキーのように髪を二つに結った少女だった。
そのままマスターがプレゼントを渡すのかと思いきや、彼女は何故かプレゼントを八九に手渡した。
「おい、これ……」
「プレゼントを渡すのはサンタさんのお仕事ですよ」
とっくに正体がバレている偽者のサンタから貰っても嬉しくないだろう。そう思ったが、目を輝かせてプレゼントを待っている幼子を前に役目を放棄することも出来ず、八九は膝をついて目線を合わせ、院長に倣ってプレゼントを渡した。
「サンタさんありがとう!」
プレゼントを抱き締め、彼女は満面の笑みで礼を言った。その笑顔は何気ないことにも喜ぶマスターを彷彿とさせ、とても眩しく見えた。
「次は……キール!」
名を呼ばれてやって来たのは、先程、サンタではなく八九だと言い張った少年だった。生意気な彼も、プレゼントを受け取ると年相応の子供の顔で喜んだ。
「ありがとう姉ちゃん。八九も」
「こーら。八九さんじゃなくて、サンタさん」
「うん。サンキュ、サンタ」
「おまっ! せめて『さん』を付けろ」
注意するが彼には意味がないようで、ニッと歯を見せて笑うとさっさと戻ってしまった。彼の態度にはあと二言ほど文句を言いたかったが、嬉しそうにマスターからのプレゼントを眺める姿を見てしまうと、その気も失せてしまう。
院長と手分けしてプレゼントを渡したため、あっという間に袋の中身は空になった。これでサンタの役目は終わりである。八九はほっと息を吐いた。
「さあ、みんなプレゼントは部屋に置いて、夕食にしようか」
子供達は院長の言うことはきちんと聞くようで、プレゼントを持ってぞろぞろと居間から出て行った。
「サンタさんも着替えたら食堂にお越しください。お待ちしてますよ」
院長はそれだけ言い残すと、再びシスターに付き添われ居間を後にした。
「お疲れ様でした八九さん」
二人きりになったところで、ようやく彼女はサンタから呼び方を改めた。
「はぁ……マジ疲れたわ。プレゼント渡すだけでこんなに精神力が奪われるなんてな」
「子供は元気ですからね。相手をする方も大変です」
「あの院長、毎日あんなのを相手にしてんのかよ。マジですげぇわ……」
「そうですね。わたしも昔いっぱい迷惑をかけていっぱい困らせてしまったことがあるので、本当に凄いなって思います」
「なら、お前はもう迷惑かけねぇように真っ当に生きろよ」
八九は暑苦しいかつらと髭を取ってマスターに渡した。これがなくなっただけで身体がだいぶ軽くなったようが気がした。街でよく見かける偽サンタ達も大変だなと、彼は肩を揉みながら同情した。
・・・
部屋で着替えてから食堂に向かうと、そこにはもう子供達が集まっており、夕食の準備を手伝っていた。皿を用意する者、コップを並べる者、キッチンから料理を運ぶ者。皆、何かしらの役目を担って働いている。
自分も何かした方がいいのだろうか。だが今日初めて来た場所で何をすればいい。八九は様子を見ながら、取り敢えず邪魔にならないよう壁際に寄った。
いつもなら周りの貴銃士達が忙しなく働いていても『ああ、なんかやってんな』程度しか思わないのだが、目の前でせっせと動いている子供達を見ていると妙に居心地が悪かった。子供が働いているのに大人の自分が何もしていないのもどうなのかと。
「あ、八九さん! 丁度よかったです。料理を運ぶのを手伝ってください!」
キッチンにいるマスターに呼ばれ、ああよかったと安堵しつつ彼女のもとに向かう。
キッチンではマスターとシスターが子供達以上に慌ただしく動いていた。スープの鍋をかき混ぜ、サラダのドレッシングを作り、この日のために用意した丸焼きの七面鳥を野菜で飾り付けし、その傍らもう使わない調理器具を洗って渇かす。それらを器用にこなしながら、彼女は八九にキッチンテーブルに並べられた料理を全部食堂に運んで欲しいと頼んだ。
八九は言われるがまま料理をテーブルに運んだ。
「美味しそう」
あまりご馳走を食べる機会がないのか、子供達は涎を垂さん勢いで料理に釘付けになっていた。
「つまみ食いすんなよ」
「しねーし! オレ八九じゃねーし!」
「いや俺もつまみ食いはしねぇから」
ふとテーブルに目を落とすと、あることに気付き八九はおもむろにランチョンマットに置かれているカトラリーの位置を変えた。
「八九何してんの?」
「何って、食器の位置直してんだよ」
「なんで?」
「なんでって……普通ナイフやフォークは皿の横に並べるもんだろ」
「そうなの? 知らなーい」
「八九物知りー」
食器の並べ方など、八九も恐らく世界帝に召銃されていなかったら一生知らなかったに違いない。いけ好かないマナー講師に、社交的な場に赴いたときに恥をかかないよう教え込まれたから知っているだけだ。
教えて欲しいとせがまれ、八九は簡単に食器の並べ方を教えた。子供達は見よう見まねで自分たちの食器の配置を直し始めた。
「八九出来た!」
「八九お兄ちゃんこれでいい?」
「おー上出来、上出来。よかったな。これで大人になったとき恥かかなくて済むぞ」
褒められた彼らは嬉しそうだった。こんなことで褒められて何が嬉しいのか八九は理解出来なかったが、素直に喜べるところは感心した。
一通り料理を運び終えると、院長含め全員が席に着いた。
「食事前のお祈りを——」
シスターが祈りの言葉を捧げる。子供達、そしてマスターも目を閉じて祈りの言葉に耳を傾けていた。
国が違えば信仰も違う。食事前の祈りは八九にとって馴染みのないものだった。だが郷に入っては郷に従えという言葉もある。一応皆の真似だけはした。
「では、いただこうか」
院長の言葉を皮切りに、子供達が一斉に目の前にある料理に手を伸ばした。
テーブルに並べられている料理はどれも珍しい物ではない。レストランに行けば普通に食べることが出来るし、士官学校の食堂でも注文出来る、ありふれた物ばかりだった。それでも子供達にとってはご馳走のようで、口の周りをソースで汚しながら美味しそうに頬張っていた。
「八九さん、よかったらこれ食べてみてください。自信作なんですよ」
マスターが勧めてきたのは白身魚のムニエルだった。いや、クリスマスならチキンだろと思ったが、八九は皿に乗せられたムニエルを口に運んだ。
「どうですか?」
「普通に美味い。お前、やっぱ料理の才能あるわ」
「ありがとうございます。八九さんに褒められるとなんだか照れちゃいます」
ふにゃりと表情を溶かし、頬を赤くする。時折見せるこの顔に、八九はとても弱かった。可愛いと口に出そうになるのを抑え、顔に籠もった熱を冷まそうと水を一気に飲み干した。
「八九これ開けて」
「僕たちこれ飲みたい」
わざわざ離れた席までやって来て、キールが抱えていた瓶を手渡した。瓶のラベルにはシャンパンと書かれていた。
「バカかお前、これ酒だろ。ガキがこんなもん飲もうとすんな」
「ちっげーし! これジュース! 子供用!」
「そうそう。ただの炭酸ジュース」
ラベルをよく読むと、確かに子供用と書かれていた。なんとも紛らわしい。
子供の力ではコルクを開けるのが難しいらしく、八九は仕方なく開けてやることにした。コルクを掴み、力任せに回すようにしながら引き抜く。
「待ってください八九さん! そんな風に無理矢理抜いたら——」
銃声のような音がしたのと同時に、噴水のように炭酸ジュースが瓶の口から噴出した。テーブルと真逆の方向に向けて開けたため料理に被害はなかったが、床と服がジュースまみれになった。
「おわっ!」
「やーい! 引っかかってやんのー!」
キール達は慌てふためく八九を見て腹を抱えて笑った。
「っざけんな! お前ら瓶振ってから渡しやがったな!?」
流石に我慢ならず、子供達に怒鳴った。いくら子供の悪戯と言っても限度がある。一度しっかり懲らしめる必要があるようだ。
八九はゆらりと立ち上がった。様子が変わったことにキール達は一瞬肩を震わせたが、挑発する姿勢は崩さなかった。
「覚悟しろよガキども。貴銃士様の恐ろしさをとことん味わわせてやる」
「来いよ八九! お前が姉ちゃんの恋人に相応しいかオレが試してやるよ!」
「は?」
彼の言葉に気を取られた隙に、子供達は食堂から走り去ってしまった。
「待ちなさい! 食事中でしょ!」
八九が追いかけるよりも先に駆け出したのはマスターだった。いつも笑顔で穏やかな彼女が刹那の瞬間見せた怒りの表情に驚いてしまい、八九は動けなくなった。
数分後、彼女に連れられ子供達が戻ってきた。どんな絞られ方をしたのか、叱られたマークスのように大人しくなっていた。
「ほら、八九さんにごめんなさいは?」
「ごめんなさい……」
涙目で謝る姿が不憫で、八九の怒りは急激に冷めていった。マスターも一緒になって頭を下げるのでこれ以上責めることも出来ず、素直に許すことにした。
反省の意を込めてジュースまみれの床を掃除してから賑やかな食事が再開された。
・・・
食事の後は皆でオルガンに合わせてクリスマスの歌を歌った。八九はこれには参加しなかったが、マスターの楽しそうな歌声に聴き入っていた。彼女の歌声を聞く機会は何度かあったが、何度聴いても心地良い。
それから消灯時間までゲームをして過ごした。ゲームと言っても所謂ボードゲームで、八九が普段遊んでいるものではない。テレビゲームとボードゲームは同じゲームと称しているが全く勝手が違う。マスターが『八九さんはゲームが得意なんですよ』と余計なことを言ったせいで集中攻撃に遭い、結局一勝も出来ずに終わった。
夜が更け、子供達が寝静まった頃。八九は一人ベッドに腰掛け考えごとをしていた。
手には可愛らしい包みが一つ。マスターに用意したクリスマスプレゼント。恋人への贈り物など一度も買ったことがない八九が悩みに悩み、喜んで貰えるか不安を抱きながら買った、気持ちだけは十分過ぎるほど籠もったプレゼントだ。
「渡すなら今しかねぇよな……」
サンタに扮した時、その場のノリで渡してしまおうとも考えた。だが、恋人に渡す初めてのクリスマスプレゼントは、自分にも彼女にも特別なものにしたかった。ロマンチストではないが、ムードは大切にしたい。
彼女はもう休んでいるだろうか。自分とは違い規則正しい生活をしているのだから、こんな夜更けまで起きてはいないだろう。直接手渡して喜ぶ顔が見たかったが、本物のサンタのように枕元に置いて、起きたところを驚かせるのもクリスマスらしくていいかもしれない。
「……よし」
八九はマスターの部屋に向かおうとドアノブに手を掛けた。
その時。
「八九さん、起きてますか?」
ドア越しにマスターの声が聞こえた。
まさか訪問されるとは思わず、八九は咄嗟にドアから離れ、プレゼントを枕の下に隠した。見られて恥ずかしい物ではないのだが、反射的に身体が動いてしまったのだ。
高鳴る胸を押さえ、ドアを開ける。
「夜遅くにごめんなさい。もしかして起こしてしまいましたか?」
「い、いや、起きてたけど……何か用か?」
「はい。あの、実は八九さんにお渡ししたい物がありまして」
渡したい物。そう言われ、八九の胸は期待で更に高鳴った。
「そ、そうか。取り敢えず中入れよ。そこに突っ立てたら寒いだろ」
「そうですね。お邪魔します」
マスターは部屋に入るなりベッドに腰掛けた。八九は備え付けの簡素な椅子に座ろうとしたが、彼女に隣に座るようベッドを叩かれる。恋人なのだからこれが普通かと、彼女の隣に腰を下ろした。
「八九さん、これクリスマスプレゼントです」
「おおっ! マジか!」
予想はしていたが、やはり実際貰えるとなると嬉しいもので、思わず感嘆の声を上げた。
「それと、今日はありがとうございました。子供達もとっても喜んでいました。八九さんがサンタ役を引き受けてくださったお陰です」
「別に俺は何もしてねぇし、礼なんか必要ねぇよ。一応、その……か、彼氏なんだから彼女のお願い事を聞くのは普通、だろ?」
「それでもお礼を言わせてください。恋人としてではなく、ここで育った人間として」
畏まってマスターは話した。院長が病を患ってから子供達が元気をなくしていたこと。八九がサンタ役を引き受けたことで彼らに明るさが戻ったこと。賑やかな夕食は久しぶりだったこと。院長がそのことに感謝していたこと。
どれを取っても八九が自主的にそうなるよう動いたわけではない。自然な流れで勝手にそうなっただけだ。どちらかと言えば、彼らのために何かしようと動いたマスターの功績の方が大きいだろう。彼らが元気を取り戻したとしたら、それは間違いなくマスターのお陰だ。
「それと、キール達のことは本当にごめんなさい。みんな普段はとっても良い子なんですけど、珍しくお客さんが来て興奮してしまったみたいで」
「いや、あれはそういうんじゃねぇだろ……」
彼らの態度から八九は薄々感付いていた。彼らはマスターのことが大好きなのだ。大好きなマスターが久々に帰ってきたかと思ったら見知らぬ男、それも恋人と称する奴を連れて来たとなれば荒れるのは当然だ。子供達から見れば八九は【お姉ちゃんを奪った悪い男】だ。嫉妬心から悪態をついたのだろう。
肝心のマスターは気付いていないようで、相変わらず自分に向けられる好意には疎いのだなと溜息を吐いた。
「あの……楽しくなかったですか? やっぱりご迷惑でしたか?」
「ん? ああ、別にこれはそういうんじゃ……」
先の溜息を別の意味に解釈したようで、マスターは不安そうに目を伏せた。
誤解を解かなければと、八九は紡ぐ言葉を考えた。
「……クリスマスは……リア充が集まって馬鹿騒ぎしたり、恋人がベタベタしたりする俺には無縁のイベントで、気の知れた仲間と豪華な食事を囲んで、ピアノのコンサートに行く。俺の知ってるクリスマスはそういうもんだった」
唐突に自分語りが始まったせいか、マスターはきょとんとして首を傾げた。
八九は構わず続けた。
「だからよ、家族と過ごすクリスマスっつーの? こういうのはなんか新鮮に感じたっつーか、悪くねぇなって、そんな感じ」
上手く伝えることができず、言葉が詰まる。こんな時、フランスの貴銃士達なら気の利いたことをスラスラと並べることができるのだろうが、八九にはハードルが高かった。
楽しめたかと聞かれると答えに迷う。サンタの格好をさせられ、子供達にからかわれ、ジュースまみれにもなった。けれどそこにはマスターがいて、彼女の家族がいて、笑顔が溢れていた。ご馳走を食べ、歌を歌い、ゲームをして遊んだ。嫌な思いもしたが、とても穏やかで賑やかな時間を過ごすことが出来たのも事実だ。
これを楽しかったと言っていいのか、家族のいない八九にはわからなかった。
「八九さんはやっぱり優しいですね」
マスターが微笑み、八九の手を握った。彼女の手はいつも温かく、少し触れただけでも心が解される。彼女と出会い、彼女の貴銃士になって初めて知った感覚だった。
「……さっきの話からどう優しいに結びつくんだ?」
「八九さんの気持ちをいっぱい感じました」
「エスパーかお前……」
「違いますよ。八九さんのことが大好きだからわかるんです」
大好きという言葉に反応して、思わず唾を飲み込む。彼女は躊躇いもなく好意を伝えてくるので、いつも心とペースを乱される。顔に熱が集まり、脈の音が鼓膜に響き始めた。
「八九さん、次のクリスマスも一緒にここに来ませんか?」
「次……次、か……」
「駄目ですか?」
「いや、駄目っつーかよ……」
次が来るかわからない。約束をしたところで絶対に果たせるとは言い切れない。八九はそれを身を持って経験している。いつ、何が起こって次が奪われるかわからないのだ。次があると思っていても、その日は突然訪れるのだ。それも本人の望まないタイミングで——
自分は貴銃士だ。役目を終えたらいずれ銃に戻らなくてはいけない。それは明日かもしれないし、もっと先の未来かもしれない。そんなことは八九にはわからなかった。
ただ一つわかっているのは、交わした約束が果たされなかった時、彼女がとても悲しむということだけだ。彼女を悲しませるのなら、果たせるかもわからない約束などしない方がいい。
「八九さん」
ふわりと、優しい石鹸の香りが鼻を掠めた。彼女の体温が伝わってきて、自身の身体も熱くなる。抱き締められていると自覚したのは、吐息を肩に感じた数秒後だった。
「次もありますよ。その次も、その先もずっとずっと、八九さんと一緒にクリスマスを過ごすんです。わたしがそう決めたんです」
「マスター……」
やはりマスターには勝てないなと、八九は苦笑した。
「わーったよ。守れるかわかんねぇけどな」
「大丈夫です。八九さんは優しいですから。わたし、信じています」
マスターの唇が、軽く頬に触れた。誓いのキスのつもりなのだろうか。不意打ちのキスに驚き、八九は「んぐっ」という声を喉から発して彼女を引き剥がした。
顔が熱い。恐らく、今自分の顔は形容しがたい間抜けなものになっている。そんな顔をマスターに見せるのは格好悪い。八九はマスターに見られないよう思いきり顔を逸らした。
逸らした視線の先にあったのはくたびれた枕。そしてその下から覗くプレゼント。危うく忘れるところだったと、八九はそれに手を伸ばした。
プレゼントを掴んでから、数回深呼吸をする。プレゼントを渡すだけだというのに、ただの仲間から彼女に関係が変わるだけでこうも緊張するものなのか。拭っても拭っても滲む手汗にいい加減嫌気がさしてくる。
「マ、マスター……これ、受け取ってくれ。一応その、クリスマスプレゼントってやつだから」
彼女に向き直り、プレゼントを突き出した。
「わぁ……ありがとうございます! 大切にしますね!」
嬉しそうに、本当に心の底から嬉しそうに彼女はプレゼント抱き、礼を言った。
「開けてもいいですか?」
「今開けるのかよ!? まあ、いいけどよ。でも期待外れだったからって返品すんのはなしだかんな」
「そんなことしませんってば。あ、そうだ。八九さんもよかったらわたしのプレゼントを開けてみてください」
「んじゃ、一緒に開けるか」
リボンを解き、包みを開ける。
「あ……」
「マジか……」
プレゼントを見て、二人は同時に声を上げた。
マスターの用意したプレゼントはマフラーだった。桜色の毛糸で編まれた暖かそうなマフラーである。
そして自分がプレゼントした物は、同じく薄いピンク色のマフラーだった。任務先でマフラーを無くしたと話していたので、それをプレゼントにしようと用意したのである。柄や色は彼女に似合うものを選んだつもりだ。
二人は顔を見合わせると、こんな偶然があるのかと笑った。
笑ってから、再びマスターは八九に抱きついた。
「メリークリスマス、八九さん。大好きです」
これが、愛する人と二人きりで過ごすクリスマスなのか。
「……メリークリスマス」
また幸せなクリスマスが訪れるように。密かに願い、八九は静かな夜の音に耳を澄ました。