「あ、シャルルヴィルだ」
一緒に買い物をしていた同期のメディックが窓の外を指差した。
指差す先にいたのは確かにシャルルヴィルだった。彼も買い物をしに来たのだろうかと窓越しに様子を伺うと、どうやらそうではないようで、彼の隣には見知らぬ女性がいた。
女性は艶のある綺麗な服を着ていた。最近流行の大きな鍔の帽子を被り、若いリンゴのような赤い靴を履いている。間違いなくレジスタンスの女性ではない。
「またですか? あ、前とは違う女の人ですね」
興味津々といった様子で、買い物についてきた後輩のメディックが窓際の商品に覆い被さるように身を乗り出す。少女二人が窓に張り付いている様子は中外関係なく不審に見えるだろう。マスターは止めるよう二人に言うが、聞き入れてはもらえなかった。
「これで何人目よ。あいつどんだけモテるわけ?」
「凄いですよね。流石フランス銃です。先輩もそう思いませんか?」
「そうだねー」
女性人気と生産地は関係あるのだろうかと思いながら、マスターは適当に相槌を打った。首を縦に振りながら、目的の商品を籠に入れていく。
「なに暢気に頷いてるのよ。保護者なんだからちゃんと貴銃士の異性交遊も管理しなさいよ」
「え⁉︎ なんで⁉︎」
「なんでじゃないわよ。なんかあったときあんたが大変でしょって言ってるの」
同期が言おうとしていることは理解できる。外の人間との交流が広がればそれだけトラブルが起きる可能性が高くなり、特に女性関係は厄介で解決するのに時間がかかる。貴銃士が起こしたトラブルの責任は少なからず自動的にマスターが被ることになるで、彼女はそれを心配しているのだ。
心配をしてくれるのはマスターとしてはとてもありがたいことだった。だが同意はできなかった。貴銃士はそれぞれ考え方や信念があり、それに従って行動している。シャルルヴィルが女性と共にいるのも彼なりに考えがあった上での行動なのである。深く関わっているからこそ、不用意に咎められないこともあるのだ。
恐らくシャルルヴィルは情報収集をしている最中なのだろう。以前ブラウン・ベスが女性関係について指摘をしたとき、彼はそう答えたのだ。
シャルルヴィルが遊びで女性と行動を共にしているわけではないことはマスターも理解していた。たくさん悩み、何度も悔しい思いをしてきた彼をずっと傍で見ていたのだ。性格や行動理念は大体把握しているつもりである。
まあ、側から見ると遊んでいるようにしか見えないのは否定しないが。
「フランス男の言葉は信じちゃ駄目よ」
「そうですよ先輩。フランス人男性の言うことをまともに聞いたら駄目です」
もはやこれはただのフランス人男性に対する偏見ではないだろうか。マスターは苦笑した。
「シャルルヴィルさんの彼女になる人は大変ですよね」
「どうして?」
「だってあんなにモテるんですよ? 他の女性のところに行かないように繋ぎ止めるのってきっと大変ですよ」
「そうよね。一番の女であり続けなきゃいけないんだもんね。あたし絶対無理ー」
二人は声を揃えてシャルルヴィルの彼女は苦労が絶えないと言った。
マスターはこれ以上この話には付き合えないと、溜息をついた。憶測で話を広げる二人に付き合っていたら半日かからず終わるはずの買い出しも終わらなくなりそうだ。窓に張り付いている二人を余所に、黙々と必要な物を籠に入れていった。
(一番……)
甘い笑顔で女性と話していたシャルルヴィルは、やがて彼女の手を取って歩き始めた。その様はまるで恋人のようだった。どこに向かうのか目で追ったが、死角に入ってしまい最後まで追うことはできなかった。
追いかけようとする同期の服を掴み、マスターは買い物を済ませるのが先だと彼女に買い物籠を抱えさせた。
リストを眺めて買い忘れがないか確認する。しかし不思議なことにリストの文字がただの意味不明な記号のように見えてしまい、読み上げることができなかった。
・・・
真っ白な皿の真ん中に置かれた赤いカシスのムースケーキ。コース料理の最後に運ばれてきたデザートにフォークを入れる直前、マスターは手を止めてしまった。
皿の縁に小さく音を立ててフォークを置く。代わりに水の入ったグラスを手に取り、水面に映る自分の顔を見つめた。
何故こんな時に、あの時のことを思い出してしまったのだろうか。揺れ歪む自分に問いかける。
特別なことではなかった。仲のいい友人たちとの意味のない会話だったはずだ。そのはずなのに、彼女たちの言葉一つ一つが胸にのしかかってくるのである。
「どうしたの、ぼーっとしちゃって」
向かいに座っているシャルルヴィルが心配そうに尋ねた。
「え? ううん、なんでも……」
「もしかして、こういうケーキは苦手? だったら違うのに変えて——」
「そんなことないよ。ケーキはなんでも好きだよ」
マスターは慌てて店員を呼ぼうとした彼を止めた。
悪いのはケーキではない。自分自身なのだ。けれどそんなことをこの場で言えるはずもなく、マスターは心配させないよう無理に笑顔を作るしかなかった。
「考えごと?」
「え?」
「顔にそう書いてある。マスターってわかりやすよね」
シャルルヴィルはこの辺りに書いてあると、指先で自分の頬を叩いた。
「デート中に考えごとなんて、マスターは酷いなぁ」
「あ……ごめんなさい」
彼の言う通りだ。マスターは言い訳ができず身を縮ませた。折角楽しい時間を過ごしていたというのにそれを壊してしまうなんて最低である。これでは事前に場所や料理を調べて予約までしてくれた彼に申し訳が立たない。
「なーんちゃって。嘘だよ。全然気にしてないからそんなに落ち込まないで」
冗談だと、シャルルヴィルは笑った。マスターも一緒になってそれならよかったとつられるように笑った。
「でもさ、悩みがあるなら俺に話して。できることなら何でもするから」
「シャルル……」
「だってほら、俺マスターの彼氏だし。恋人が困ってるのに何もできないんじゃ格好つかないでしょ」
恋人という言葉に酷く胸が締めつけられる。
彼の言う通り、数ヶ月前からマスターと貴銃士ではなく恋人という特別な関係となった。
告白したのはマスターの方だった。気の利いたことが言えず、シンプルに恋人になって欲しいとだけ伝えた。断られることも覚悟していたが、シャルルヴィルは『俺でよければ』と受け入れてくれたのである。
恋人になったとき、できるだけ一緒にいる時間を作る、隠しごとをせずに何でも話す、お互い遠慮はしないなど、二人で色々と約束事を決めた。殆どがシャルルヴィルからの要求だった。何でも一人で抱え込み、他者に遠慮しがちなマスターの性格を考慮してのものだった。最初こそ抵抗はあったが、どんな話でも真剣に聞いてくれることもあり、今では当たり前のように相談や内緒話をしている。
だがこればかりは話せない。シャルルヴィルを目移りさせず一番の恋人であり続けるには、などと言ったら周りの魅力的な女性よりも自分を選んでくれた彼を傷つけることになる。信用していないのだと捉えられてしまうだろう。
大好きだから。傷つけたくないから。これだけは知られたくなかった。
「……大丈夫。ここのお料理が凄く美味しくて、いっぱい食べちゃって、お腹いっぱいになちゃっただけだから。だから、大丈夫」
これ以上心配させまいと、マスターは適当に誤魔化した。料理が美味しかったことも、満腹になったことも本当なので、嘘はついていない。
「お腹いっぱいって……あはは、気に入ってくれたならよかったよ」
「う、うん……」
誤魔化せた、のだろうか。マスターは彼の笑顔に一抹の不安を覚えた。
シャルルヴィルは優しい。それ故に本音を内にため込んでしまう傾向がある。付き合い始めてからは何でも話してくれるようになったが、空気を読みすぎる癖が直ったわけではないのだ。
自分の言動で彼にいらない気を遣わせてしまった罪悪感に耐えられず、マスターはスカートを握り締めた。
これでは一番になるどころの話ではない。恋人失格である。
「ケーキ、よかったら食べて」
「ありがとう。でもまだ自分のも食べてないし。二個も食べたら流石にシルエットが……」
彼のケーキは未だに運ばれてきたままの綺麗な状態だった。マスターがケーキを食べなかったため、彼も手がつけられなかったのだろう。
「あ、マスター前髪が少し崩れてる」
「え? そう?」
大きい鏡で見た方がいいと促され、マスターは髪を整えるために席を立った。
洗面台の鏡に映る自分はなんともつまらない顔をしていた。いくら前髪を直しても愛嬌のある顔にならない。シャルルヴィルにこんな顔を見せていたのかと思うと、情けなくて涙が出てきそうだった。
以前シャルルヴィルと歩いていた女性は顔までは見えなかったが綺麗な装いから想像するに、それに見合う外見をしていたに違いない。他の女性たちもきっとそうだろう。
それに比べて自分はどうだ。これといって特徴があるわけでもない、魅力など感じられない顔だ。これでなにかしら可愛げがあればまだ救いはあるが、それすらない。どうして彼が自分を選んでくれたのかという疑問すら浮かんでしまう。
これでは駄目だと、マスターは強く両頬を叩いた。
シャルルヴィルの恋人になったからには彼に見合う女の子にならなければいけない。そのためにはまず、この暗い顔を矯正しなくてはいけないだろう。マスターは指で口角を押し上げて懸命に〈素敵な女性の笑顔〉を作った。
テーブルに戻ると既にシャルルヴィルは帰り支度を済ませていた。皿やグラスは全て下げられており、テーブルには持ち手のついた箱だけが置かれていた。
「それは?」
「さっきのケーキ。残すのも勿体ないから包んでもらったんだ。あとで一緒に食べよう」
テーブルを担当していた店員に誘導され、二人は店の出口に向かった。そこで預けていた上着を受け取ると、シャルルヴィルはキャッシャーの前を素通りして扉の近くでマスターが支度を終えるのを待った。店員も何も言わず、扉の前で姿勢を正して立っている。
慌てて店員に会計のことを尋ねると、店員はもう既に支払いは終わっていると答えた。自分のいないところで会計や土産の手配が終わっていたことに驚くと同時に、マスターは彼の過ぎるほどの手際のよさに胸を痛めた。
外は入店前より闇が深くなっていた。等間隔に並ぶ街灯が暗い夜道に光の道を作っている。
冬はまだ先だが太陽が隠れた街は少し肌寒く、薄白い息が顔を覆っては消えていった。
「マスター」
シャルルヴィルは荷物を全て右手に持ち替え、開いた左手をマスターに差し出した。
その意味をすぐに理解してマスターは彼の手に触れようと指を伸ばした。が、すぐに引っ込めた。数分前だったら躊躇わず喜んで彼と手を繋いだかもしれない。彼の手の温かさで心安らぐことができただろう。
だが今は、隣にいることすら躊躇われた。
「……マスター」
行き先を見失い彷徨っていたマスターの手を、シャルルヴィルは引き寄せるように掴んだ。マスターはそれを拒まなかったが、握り返すこともできなかった。
「暗いから手繋ごう。はぐれちゃったら一生会えないかもだし」
「うん……」
シャルルヴィルに手を引かれ、静かな煉瓦道を進む。彼の隣りには並ばず、半歩後ろをついて行く。
「今日は楽しかったね。休暇をくれた恭遠さんとスフィーたちに感謝しないと」
世界帝軍との戦いは優勢とはいかないものの、貴銃士の活躍により着実に戦況はよくなっていた。だからといって気を抜くことはできず、マスターも貴銃士も日々任務に追われていた。
マスターとシャルルヴィルが交際を始めてからは更に状況が厳しくなり、休みを合わせることすら難しくなっていた。二人きりになれるのは日の終わりのほんの数時間だけというのが殆どだった。
そんな二人を見ていられないと声を上げたのはスプリングフィールドだった。彼はブラウン・ベス、ケンタッキーと共に嘆願書を作り、二人に休暇を与えるよう恭遠に訴えたのである。
恭遠は二人だけに特別に休暇を与えることには乗り気ではなかった。特例を作ってしまったら、他の者たちが我も我もと押し寄せてくるからだ。悩んだ末、恭遠はスプリングフィールドの訴えを却下した。
数日後、二人は恭遠から短期遠征任務を命じられた。詳細が書かれていると極秘に渡された書類には、二人に休暇を与える旨が記されていた。表向きは〈任務〉ということにし、旅行に行かせる。することで、他者の反感を回避しようとしたのだ。真面目な恭遠らしい機転の利かせ方だった。
こうしてスプリングフィールドたちと恭遠のお陰で二人きりの旅行が叶ったのである。
「みんなにお土産を買わないとね。明日ゆっくり買い物しようか」
「うん」
「何がいいかな。物をあげても喜ばなさそうだしなあ。無難に紅茶とかお菓子かな。マスターはどう思う?」
「うん」
マスターの耳には話の半分も届いていなかった。まともに聞いていないので言葉が途切れるタイミングに合わせて機械的に相槌を打って会話を成り立たせた。到底会話とは言えなかったが、今はこれが精一杯だった。
ふと、シャルルヴィルは足を止めた。そして背を屈めて顔を近付けた。
突然何をされるのかと思い、マスターは目を瞑って身構えた。
「熱は……ないみたいだけど」
額にこつりと硬いものが当たり、恐る恐る目を開ける。すると額を合わせて熱を計っている彼と目が合った。
彼は額を離すと、目線を合わせるように屈んだままマスターを見つめた。マスターは青い瞳に隠しごとを暴かれてしまう気がし、わかりやすく目を逸らした。
世の女性たちはこんなにも綺麗な瞳に見つめられたらあっという間に心を許してしまうだろう。マスターもそうだった。初めて彼を貴銃士として目覚めさせたとき、瞳を見た瞬間から恋に落ちていた。男性として彼を好きだと自覚したのは暫く経ってからだが、遡るとそうだったと断言できる。
そんな大好きな瞳を、今は直視することができない。
(恋人なのに、恋人の目を見られないなんて)
最低だ。マスター歯を食い縛り、泣きそうになるのを堪えた。
暫し沈黙していると、近くにあった彼の影が遠ざかった。
「なんか遊び疲れちゃったし、今夜はこのままホテルに戻ろうか」
本当はこれから夜の散歩をする予定だった。道をまっすぐ行った先に夜景が見られる展望台があるらしく、そこに行こうと計画を立てていたのである。けれどシャルルヴィルは角を曲がり、ホテルに続く道を進み始めた。
マスターは手を引かれるまま、同じ道を歩いた。
暖かなオレンジ色の光に照らされた彼の笑顔は、少し寂しげに見えた。
・・・
基地の固いマットレスとは違う柔らかなベッドに横たわり、マスターは一人鬱々と悩んでいた。
ずっと楽しみにしていた旅行をつまらないことで台無しにしてしまったこと。シャルルヴィルに嘘をついてしまったこと。彼に悲しい顔をさせてしまったこと。思い出すだけで胸が苦しくなり、蹲った。
部屋の浴室からシャワーの音がする。シャルルヴィルが今日一日の疲れと汚れを洗い流しているのだ。
彼は先の自分をどう思ったのだろうか。温かい湯を浴びながら、別れる方法を巡らせていないだろうか。浴室の方を瞬きもせず見つめ、マスターはいらないことを考えてしまった。
もしも別れたいと言われたら。嫌いだと言われてしまったらどうしたらいいのだろうか。別れたくもないし、嫌われたくもないが、それに至ることをしてしまったのだから今更何を言っても手遅れだろう。心底嫌だが受け入れるしかない。
シャワーの音が止まり、静かになる。
部屋が無音になったことで、自身の心臓の音が頭が痛くなるほど聞こえた。
謝りたいという気持ちと、顔を合わせられないという気持ちがぶつかり合う。彼が浴室から出てくる前に逃げ出したいと思ってしまうが、良心がそれを許さなかった。
「あー、気持ちよかった。水が出てこないシャワー最高」
真っ白なタオルで髪を拭きながら、シャルルヴィルが上機嫌で浴室から出てくる。
この日のために新調したという寝間着に身を包んだ彼は、シャワーを浴びる前と変わらずベッドで横になっているマスターを見下ろすと、静かにベッドに腰掛けた。
「おーい、寝るならちゃんとベッドに入らないと駄目だろ。風邪引いちゃうよ」
マスターは起き上がり、大丈夫だと首を振った。
「あのね、シャルル……」
謝ろうと口を開く。けれど喉の途中で言葉が詰まってしまい、続きが出てこない。許してもらえないのではという恐怖心が、マスターの首を締めつけていた。何も言えず、マスターは顔を俯かせた。
「……マスター」
シャルルヴィルの暖かな手が頬に触れる。指一本一本に込められる力加減に促されるように、顔は自然と彼の方に向いた。
見上げると、額がつきそうなほど近くに彼がいた。
そして驚く間もなく、唇が重ねられた。
今まで何度も触れてきた柔らかな唇。重ねる度にマスターの胸を幸せで満たしていた優しい口づけ。
それが今は、息ができないほど苦しくて堪らなかった。
「好きだよ、マスター。この気持ちは嘘じゃない」
シャルルヴィルが真剣な面持ちで告げた。
真っ直ぐ向けられた気持ちを受け止められず、マスターは顔を背けた。嬉しいはずなのに素直に応えられず、シーツを毟るように掴む。
「マスターに恋人になってって言われたとき、すっごく嬉しかった。貴銃士としてだけじゃなくて、男としても認められたんだって。しかも俺を一番に選んでくれた……あの時はこれ絶対に夢だろーって思ったけど、でもいつも隣にマスターがいて、手を繋いだりキスしたりすると、夢じゃなかったんだって、実感できるんだよね」
シャルルヴィルはマスターの頬に添えていた指を滑らせ、髪を撫でた。
「だからさ、マスターも俺と同じ気持ちでいてくれたらって思う。我が儘かもしれないけどさ」
そんなことはないと、マスターは何度も首を横に振って否定した。恋人になれて嬉しかったのは自分も同じだ。
「貴銃士だからっていうのは言い訳にしかならないけど、もし無意識でマスターの嫌がることをしてたならちゃんと言って。正直に言われるより、我慢したり嘘をつかれる方が俺としては結構ショックだから」
シャルルヴィルは優しい。優しいから気持ちの変化に気づかないふりをしていたのだ。
その優しさにマスターは甘えすぎていた。
マスターの目からぼろぼろと大粒の涙が零れる。
シャルルヴィルはマスターを引き寄せ、震える身体を抱き締めた。
話を切り出すチャンスはいくらでもあったはずだ。だがあえて二人きりになれるホテルに戻るまで何も言わなかったのは、話をしたらマスターが泣き出すと予測していたからだろう。嘘を突き通すのが苦手で、とても涙もろいことを彼はよく知っていたのである。
こぼれ落ちる涙で、シャルルヴィルの新品の寝間着に染みが広がる。服を濡らされ不快な気持ちになっているだろうと思ったが、上目遣いで盗み見た彼の顔はとても穏やかだった。
マスターは彼の胸に顔を押しつけ、ゆっくり呼吸を落ち着かせる。息を吸うと、カモミールの石鹸の香りが心を雁字搦めにしていた緊張の糸を解いていった。
「落ち着いた?」
「……うん」
やっと声が出せる程度まで落ち着き、マスターは顔を上げた。
澄んだ青い瞳に自分の姿が映っている。彼の目には自分がどう映っているのか、いや、自分だけが映っているのか、つい気になってしまう。
「ごめんなさい……」
喉の奥から絞り出すように、か細い声で言った。
「シャルルは何も悪くない……全部わたしが悪いの……だから、ごめんなさい……」
何に謝っているのかわからないといった様子のシャルルヴィルは首を傾げた。
「怖かったの」
「怖い?」
「シャルルの一番に、なれないんじゃないかって」
「一番って? 何の?」
マスターは一瞬躊躇ったが、勇気を出して言葉を紡いだ。
「……シャルルの一番の女の子」
シャルルヴィルが多くの女性に好かれていること、女性の扱いに慣れていること、それにより周囲が勘違いしていること、友人たちが言ったこと、それを思い出してしまい不安になってしまったこと。マスターは友人たちが悪く思われないよう、かいつまんで話をした。
「そっか……ごめん、俺のせいで不安にさせて」
「違うの! シャルルのせいじゃない……」
マスターは否定した。
「わたし、男の人とお付き合いするのが初めてで、男の人が喜んでくれることとか、して欲しいこととか全然わからなくて。だから、どうしたらシャルルの一番になれるのかわからなくて……他の女の人みたいに振る舞えなかったら、一番になれなかったらどうしようって勝手に悩んじゃって……」
止めたはずの涙が再び頬を伝う。視界が滲み、彼の顔が油絵のように歪んで見えた。
「マスターは俺の一番になりたいってこと?」
シャルルヴィルの問いに、マスターは頷いた。
「……じゃあ、さ。目、瞑って」
言われるまま、マスターは目を瞑った。何も見えないのは不安だったが、布越しに感じる彼の体温がそれを和らげた。
不意に、唇に柔らかいものが当てられた。
目を閉じていてもそれが唇であることはすぐにわかった。
けれどいつもより、何かが違うような気がした。
触れるだではない深い口づけ。それはとても長く、息が苦しくなるほどだった。
マスターは呼吸をしようと僅かに唇を開いた。するとそれを狙っていたかのように、シャルルヴィルの舌が口内に侵入し、マスターの舌を捕らえた。
初めて味わう官能的なキス。全身の熱が顔に集まり、絡み合う舌の隙間から熱い息が漏れる。離れようと身体を捩るが、身体を抱く彼の腕からは逃れられなかった。
「ん……は、あ……」
唇が離れると、二人の舌を繋いでいた透明の糸がぷつりと切れる。
マスターは瞬間的に熱を上げてしまった反動で目眩を起こし、力なくシャルルヴィルの胸に身体を預けた。
「言っておくけど、こういうのはマスター以外にはしないからね」
マスターを抱く腕に力を込め、耳元で囁いた。
普段聞かないような低い声が鼓膜を震わせる。ぞくりと鳥肌が立ち、顔には更に熱が集まった。
「心配しないで。俺の好きな女の子はマスターだけだから。マスターがずっと一番だから」
だから安心して欲しいと、シャルルヴィルは頭を撫でた。
「わたしが、一番?」
マスターは目を輝かせながら尋ねた。
「うん、マスターが一番」
「本当に?」
「ほんと、ほんと」
「美人で可愛くてスタイルも性格もいい女の人がいても?」
「あはは、大丈夫。マスターより可愛い女の子はいないって思ってるから」
それは流石にないだろうと訝しむと
「あ、疑ってる? 酷いなあ、こんなに愛してるのに信じてくれないなんて」
シャルルヴィルは唇をとがらせ文句を言った。その顔が面白く、マスターは思わず笑ってしまった。つられて、彼も一緒になって笑った。一緒に笑い合えることがこんなにも幸せなことだったのかと、マスターはこの幸せが些細なことで壊れなくてよかったと安堵した。
「シャルル」
「ん?」
「大好き」
マスターは首を伸ばし、軽く彼にキスをした。自分からあまりすることがないため少し恥ずかしくなり、頬を赤く染めた。
「ああ、もう! 俺の彼女ちょー可愛いんだけど!」
シャルルヴィルは力いっぱいマスターを抱き締めるなり喜びの声を上げた。
「明日で旅行が終わりなんて俺絶対にやだ! このまま逃避行しちゃおうか?」
「それは絶対に駄目!」
嬉しい誘いではあるが、マスターはそれを受けることはできなかった。自分には役目があり、それを全うするまではどこにも逃げないと決めているのである。
「嘘、嘘。途中で放り出すようなことはしないから安心して」
シャルルヴィルは軽くマスターの頭をぽんぽんと叩いた。
「あ、でも戦いが終わったらすぐに連れて行くから、そのつもりでね」
シャルルヴィルと暮らすのはきっと楽しいだろう。戦いが終わった後も一緒にいられるのなら、彼の言う通り静かな場所でのんびり暮らしたいと、マスターも心の中で思い描いている。
彼が同じ未来を望んでくれているのは嬉しいが、叶えるのは今ではない。もう暫く先だ。
「マスター」
シャルルヴィルはマスターの額に唇を落とした。それから瞼、目尻、頬と、点々とキスを降らしていく。
口の端に唇が触れたとき、マスターは少しだけ唇を開いた。何かを期待するように、招き入れるように、隙間を作る。それを塞ぐように唇が重ねられると、舌先で彼の舌を突いた。
遊びに乗るように、彼の舌が絡みつく。吸い付くような強引さはなく、マスターの反応を確認しながら唇を堪能していた。極上のデザートを味わっているかのような舌遣いに、マスターは身体の芯から蕩けてしまいそうだった。
キスの最中、それまでマスターを拘束していた両腕が緩んだ。もうマスターが自分の手から逃げないと確信したのだろう。
左手で細い腰を支えると、彼は右手を背中から腕へネグリジェの上を這うように移動させた。腕から肩へ擦り上がり、鎖骨へと下りていく。親指で形を確かめるように鎖骨を撫でると、小さな身体が僅かに震わせた。
甘い熱を持った唇が離れると、マスターはついそれを潤んだ瞳で追ってしまった。ディープキスは初めてだが嫌いではなかった。空気に触れて唇の熱が冷まされていくのが惜しくて仕方がない。
シャルルヴィルは名残惜しそうにしているマスターを見て、慰めるように肩にかかる髪を除けて露わになった白い首筋にキスをした。
ざらついた舌の感触がくすぐったい。指で触れられるだけでも敏感に反応してしまう場所を舌でなぞられる度、全身が粟立った。
「シャ、ルル……」
鎖骨で遊んでいた手がゆっくり胸元に移動し、薄布越しに柔らかな場所に触れる。胸を覆う下着は身につけていないため、布越しではあるがはっきり彼の指の硬さが伝わってきた。
「待って……ぃや……!」
彼から与えられる初めての感覚が怖くなり、マスターは悲鳴を上げた。胸に添えられた手を掴み、逃げるように身体を反らす。
「っ!」
マスターが拒絶する動きを見せたことで、シャルルヴィルは飛び退くように身体を離した。
「ごめん! 嫌、だったよな……」
シャルルヴィルは眉を下げ、今にも泣きそうな顔で言った。
マスターは何と返答すればいいのかわからず、胸元を押さえて縮こまった。
嫌なのかと訊かれると、はっきりそうとは言えなかった。キスも身体を触れられるのも、それ自体は嫌ではなかった。
彼との関係が少し変わるであろうことは、旅行が決まってからなんとなく予測できていた。期待はしていなかったが、彼が望むならそれに応えようとは思っていた。そのために密かに大人向けの小説を読んだり、普段は穿かないような下着を用意したりと、色々と準備もしてきた。心も体も、とっくに彼に求められる覚悟はできていたのである。
けれど拒絶してしまったのは、初めて味わった男性に愛される感覚が知識と予想を超えていたからだ。自分が自分でなくなってしまうような感覚に襲われたことで、恐怖してしまったのである。
互いの全てを曝け出し、身体を求め合う愛情表現をマスターはまだ経験したことがない。未経験の世界に飛び込むにはまだ勇気も覚悟も足りなかった。
「ごめん。もうしないから」
シャルルヴィルは背を少し丸め、ベッドから下りた。
「毛布貰ってくるから先に寝てて。俺のことは気にしなくていいから」
暗い声色でそう言うと、彼は重たい足取りで廊下に続く扉に向かった。その背中には黒い影が落ちていた。
「待って!」
このまま彼が遠くに行ってしまいそうな気がし、マスターは逸る気持ちでシャルルヴィルの背中に抱きついた。どこにも行かせまいと、強く彼の服を掴む。
「違うの。嫌じゃないの。ちょっとだけ……ちょっとだけ怖かっただけだから……」
振り返り、怪訝そうな目を向けるシャルルヴィルに、マスターは微笑んだ。ちゃんと笑顔になっているかわからなかったが、精一杯笑顔を作ったつもりだ。
彼の手がドアノブから離れると、袖を引っ張ってもう一度ベッドに座らせた。マスターも身体を密着させるように隣りに腰掛けた。
静まり返った部屋に、ベッドのバネが軋む音だけが鳴り渡る。
求められたのなら応えたい。シャルルヴィルと初めてを迎えられるのなら幸せだ。それを伝えたいのだが、沈黙が続いてしまいどう切り出せばいいのか迷った。
「……いいよ」
「え?」
「わたしも、シャルルとしたい……から……」
自分が求めてしまっているような言い方をしてしまい、マスターは火がついたように顔を赤らめた。
「えっ……あ、うん、その……」
思いもせず夜事に誘われたシャルルヴィルも、困惑したように言葉を詰まらせた。
「ほんとに?」
「うん……」
「でも、怖かったって」
「うん……でも、もう大丈夫……だと思う」
まるで恋人になった翌日のようなぎこちない会話。話しているだけで互いの緊張が伝わり合う。マスターは緊張を紛らわそうとネグリジェをくしゃくしゃと握った。
「でもね……初めてだから上手くできないかも……」
知識を蓄えようと読んだ本には男性を悦ばせる描写が記されていた。触ったり、舐めたり、口に含んだり……そうすることで男性は気持ちよくなると書かれていたのだが、その通りにできる自信はあまりなかった。
「大丈夫。マスターは何もしなくていいから」
マスターの肩を抱き、シャルルヴィルは安心させるように言った。
「何もしなくていいの?」
尋ねると、彼は言葉ではなく唇を重ねて肯定した。少し離しては角度を変えてまた重ね、繰り返しマスターの唇を濡らしていく。
自分を求める甘美な口づけに、マスターはいよいよ虜になってしまいそうだった。
・・・
シャルルヴィルに優しく横たえられ、マスターはベッドに身を沈めた。
これから彼に抱かれるのだと思うと、やはり一つになれる嬉しさよりも自分を変えられてしまう恐怖で身体が強ばってしまう。怯えた表情でシャルルヴィルを見つめると、彼は子供をあやすようにマスターの髪を撫でた。
「嫌だったら言って。あと痛かったときも。我慢しなくていいから」
こういう時でも彼は気遣いを忘れなかった。そのお陰で彼に身を任せれば大丈夫だろうという安心感が生まれ、僅かだが緊張が解れた。
「好きだよ、マスター」
囁くと、シャルルヴィルはそのままマスターの耳朶を甘噛みした。マシュマロを食むように、軽く耳朶に歯を立てる。舌で転がし、味と感触を楽しむと、耳の輪郭をなぞるように舌を這わせた。
「気持ちいいときは声出して」
熱い吐息が耳の奥まで届き、そこからぞわぞわとしたものが内から外に向けて走った。
髪を撫でていた手が頭から顔を伝い、柔らかな膨らみに下りていく。掌全体を使い、形を覚えさせるように撫で回すと、一度は引いた熱が彼に触れられたことに悦び、再び熱を持ち始めた。
「はぁ……んっ……!」
少し撫でられただけでも身体が驚いてしまい、マスターは背に触れるアイロンがかけられた綺麗なシーツに淫らな皺を作った。
彼が触れる度に布と突起が擦れ、それが小さな刺激となる。シャルルヴィルの指が直接突起に触れることはなかったが、それでも酔ってしまいそうなほど甘い感覚が突起の周囲にぴりぴりと広がった。
「ボタン外すね」
シャルルヴィルはマスターのネグリジェのボタンを一つ外した。
「待って……自分でするから」
「だーめ。マスターは何もしなくていいって言ったでしょ」
制止などお構いなしに、シャルルヴィルは臍の辺りまでボタンを手際よく外していった。
大きくはだけた服の下から艶かしい膨らみが覗く。マスターが大きく息をするのに合わせて胸が上下すると、ネグリジェは豊な双丘から滑り落ちた。
隠すものが失われ、無防備になった胸が彼の前に晒される。ほんのり赤く染まった丘と、ツンと上を向く薄桃色の小さな突起を見られるのが恥ずかしく、マスターは堪らず涙ぐんだ。
「シャルルも脱いで……」
「俺も?」
「シャルルだけ服着てるの、ずるい」
一人だけ服を剥かれたことへの不満を口にすると、シャルルヴィルは声を出して笑った。
「ほんと、可愛いなあマスターは」
恋人の愛らしい願いを聞くように、彼は夜を共にするためだけに用意した寝間着を惜しむことなく脱ぎ捨てた。
いつも節制だ、ダイエットだと言って体型を気にしているが、彼の身体は十分引き締まっており、青年らしい体つきをしていた。寧ろ鍛えている分、外見が同じくらいの年齢の者より筋肉があるように思える。目立った傷跡などもなく、ルームライトに照らされた彼の身体は、一種の芸術品のように美しかった。
「綺麗……」
マスターは手を伸ばし、彼の胸に触れた。掌から激しい鼓動が伝わってくる。
「ありがとう。でもその台詞逆じゃない?」
「わたしは……綺麗じゃないから……」
マスターの身体には傷痕が多く残っている。貴銃士と違い綺麗に傷が治る身体ではないので、どんなに丁寧に治療をしても痕が残ってしまうのだ。痛々しい痕が刻まれた身体は、男性から見たら魅力的とは感じられないだろう。
「ごめんね。がっかりだよね……」
笑顔で、けれど声を震わせながら言った。
「そんなことない!」
間髪入れず、シャルルヴィルは声を荒げて否定した。
彼は自身に添えられている薔薇の傷が刻まれた手を握ると、強く胸に押しつけた。
「綺麗だ。マスターの身体、すっごく綺麗! ねえわかる? 俺、マスターの裸見てすっごいドキドキしてるんだから」
掌から伝わる心臓の響きはとても速かった。走るような鼓動が手から腕を伝って心臓まで届くと、合わせるようにマスターの心臓も速くなった。
「謝らないで。がっかりとか絶対に言わないで。もし綺麗じゃないって馬鹿にする奴がいたら、俺はそいつを絶対に許さない」
一瞬だけ、青い瞳から光が消えた。けれどすぐにもとの澄んだ目の色に戻り、愛おしそうにマスターの薔薇の傷を見つめた。
「触ってもいい?」
薔薇の傷に口づけをしながらシャルルヴィルが尋ねた。
マスターは頷いた。綺麗と言ってくれた彼を拒む理由はなかった。
繊細なガラス細工を扱うように、シャルルヴィルは優しく乳房を撫でた。同年代の少女よりも丸みを持った丘は手の動きに合わせて形を変え、離すとゼラチン菓子のように可愛らしく揺れた。
隔てるものがなくなったことで体温が直接肌に伝わり、弄ばれている部分がじわじわと熱くなる。熱を帯びるほど敏感になっていき、僅かに触れられただけでも意識が飛んでしまいそうだった。
「んっ……あぁ!」
一度も可愛がられなかった薄桃色の頂を軽く摘ままれた瞬間、今まで体験したことのない感覚が全身を走った。指の腹で先端を擦られる度に切ない痛みが走り、マスターは堪えられず眉を寄せた。
シャルルヴィルは片手で胸を揉み可愛がりながら、なかなか声を聞かせてくれないじれったい唇を舐めた。上唇を吸い付くように甘噛みし、嬌声を聞かせて欲しいと催促する。
絶え間なく与えられた愛撫によって硬くなった突起は、更に彼を求めるように上を向いていた。それを強く摘ままれ、捻られると、喉の奥に留めていた甲高い声が部屋に響いた。
「シャルル、やだぁ……いじわるしないで……」
涙声で訴える。すると彼は口の端を上げ、ごめんと口づけをした。
彼の濡れた唇が顎から首、鎖骨、乳房と、道しるべを残すように白い肌に赤い印を付けていく。双丘の片方は愛撫によって、もう片方は唇によって赤色に変わっていった。
「こっちも可愛がってあげないとね」
そう言うと、彼は相手にされずただ硬くなっただけの突起を口に含み、舌で転がし始めた。
「はんっ……舐めちゃ、や……」
指とは違う感触に責められ、身悶える。
一方が強く吸うと、もう一方は乳房に沈めるように押し、一方が頂の周りを指でなぞると、もう一方は歯を立てて優しく噛む。指と舌。それぞれ違う動きが左右に与える刺激によって、マスターは快楽の海に誘われた。
「シャルル……こわい、こわいの……」
内から何かが込み上げ、それが弾けようとしているのが恐ろしく、マスターは縋るようにシャルルヴィルの腕を掴んだ。
「大丈夫。怖くないから、このまま俺に任せて」
「ああっ!」
追い打ちをかけるように鋭敏なところを執拗に責められてしまい、マスターは悲鳴にも似た声を上げ、大きく身体を反らした。頭の中が真っ白になり、部屋の明かりは少ないはずなのに瞼の裏が妙に眩しかった。
「ちゃんとイけたね。よかった」
シャルルヴィルは恍惚な眼差しで胸を上下させるマスターの頭を撫でた。そして眠り姫を目覚めさせるように、力なく開いたままの口に舌を差し入れ、無抵抗の舌を絡め捕り、口内も余すことなく愛した。
少しずつ昂ぶりの波が静まってくると、マスターも自ら舌を出して彼の愛を受け止めた。
口の端から零れた唾液は、マスターのものなのかシャルルヴィルのものなのか。キスに溺れる二人にはわからなかった。
「シャルル……」
「なに?」
「わたしも、シャルルを気持ちよくさせてあげたい」
「俺を?」
彼は目を丸くして聞き返した。
「わたしだけが気持ちいいのは、その……不公平だから」
営みは男女が一緒に気持ちよくなること。本にはそう書かれていた。なので自分だけが絶頂を迎えるのはフェアではない。彼がそうしてくれたように自分も彼を満足させたいとマスターは思っていた。
「お、俺はいいよ。マスターにしてもらう必要なんて全然ないし」
「でも、口とかでしてあげないと満足できないって本に……下手だけどシャルルが悦んでくれるように頑張るから」
マスターは身体を起こし、膨らみを持った彼のズボンに手を伸ばした。
「いいよ! いいって! 口でされたら俺絶対一分もたないし!」
シャルルヴィルは慌ててマスターの手を掴んで止めた。
「お願い」
「駄目」
「シャルルのだったらなんでもしてあげられるから」
「駄目ったら駄目」
「……胸で、挟むやつも?」
「それだけは止めて。それやられたら俺銃に戻っちゃうから!」
あまりにも必死に止められるので、マスターはしゅんと肩を落とした。自分では彼を満足させられないのだろうか。
「あのさ、マスターがしてくれるのは凄く嬉しいんだけど。その、何て言えばいいかな……気持ちだけで十分って言うか……」
シャルルヴィルは言いにくそうに髪を掻いた。
「たぶん俺、情けない姿を見せちゃうと思う。まあ、情けないのは前からだから何を今更って話かもしれないけど」
歯切れが悪く、何を言いたいのかいまいち伝わってこない。だが、何を言おうとしているのかはなんとなく伝わってきた。
「わたしはシャルルのどんな姿を見ても、嫌いになったり幻滅したりしないよ」
マスターは彼がしたように手を取り、それを自分の胸に押し当てた。
「だってわたしはシャルルのマスターで、恋人だから」
微笑むと、彼は顔だけではなく耳まで紅潮させ俯いた。
「狡すぎ。その笑顔は反則だって」
低く唸り、彼は降参の意を示した。
「触るだけだよ。舐めたりとか絶対にしなくていいから」
そう念を押してから、先とは打って変わって渋々寝間着のズボンを脱いだ。続けて下着も脱ぐと、既に屹立した彼のものが現れた。
初めて見る彼のものに、マスターは思わず息を飲んだ。
男性器そのものは怪我の治療中にやむを得ず何度か目にしたことはあった。彼らのは重力に逆らうことなく下を向いていたはずだが、その時とは状態が全く異なっている。硬く上を向いているそれは、医学書の図解や想像していたものとは色も形も大きさも違う。リアルなそれはとても艶めかしかった。
「そんなにじろじろ見られると恥ずかしいんだけど」
彼は恋人に自身を曝け出してしまった羞恥心を隠すように、口元を手で覆った。自身の恥ずかしい姿を見ないよう伏せた目からは、先までの余裕はまるで感じられない。その切羽詰まった表情が可愛らしく、マスターは彼の頭を撫でた。
男性は敏感なので優しく。本に書かれていたことを思い出しながら、そっと彼のものに触れる。指の感触に反応しぴくりと動くそれは、一種の小動物のようだった。
包み込むように両手で握り、ゆっくり上下に動かす。筋が浮き出た表皮が、手の動きに合わせて一緒に伸縮する。これで間違っていないのか気になったが、棒が触り始めたときより硬くなっているような気がし、止めずに続けた。
「……んっ」
口元を隠している指の隙間から小さく声が漏れる。
「気持ちいい?」
尋ねるが、彼は瞼を小刻みに震わせるばかりで何も答えなかった。
そっちは散々声を出させようとしたくせにと、マスターは少し悔しくなった。
彼だけ我慢するのは狡い。棒の愛撫を止め、男性の最も敏感な場所と書かれていた先端に手を移動させた。皮のないその部分を掌で撫で回し、刺激を与えていく。
「まっ……⁉︎ そこは、駄目だって……」
彼は苦しそうに顔をしかめた。恋人の健気な奉仕に屈しまいと堪えているが、吐息混じりの喘ぎ声は、マスターの耳に届いていた。
鋭敏な出っ張りを擦っていると、先端がぬめり始める。撫でれば撫でるほど溢れるそれは潤滑剤となり、手の動きをより滑らかにした。
「はぁ……」
もう一人の彼を触っている内に、マスターも身体の奥、特に下腹部が熱くなってくるのを感じた。頭が熱に浮かされたようにぼんやりとしてしまい、切なさを孕んだ生暖かい息を彼の逞しいものにかけてしまう。
「マス、ター……んっ、もう、いいから。このままされたら……」
シャルルヴィルの懇願はマスターの耳には届いていなかった。玩具に夢中な子供のように、彼のものを目一杯愛するのを止めなかった。普段は直視するのも憚れるものも、彼の一部だと思うと愛おしく感じられる。自分の手で限界を迎えさせてあげたいと思うほどに……
本の内容や手順は、もう頭の中から抜けていた。彼の反応を見ながら、彼が悦ぶところを悦ぶ方法で愛撫した。彼が反応を示す度、マスターは嬉しくなった。
「っ……!」
震える鈴口を指の腹でくすぐった直後、先端から熱いものが放たれた。それはマスターに飛び散り、無防備な胸や顔を白く汚した。
「マスター⁉︎ ごめん、我慢出来なくて。タオル……タオルは、と……」
シャルルヴィルは手近にあったタオルでマスターの身体を丁寧に拭いた。
「大丈夫? 目に入ってない?」
「うん、大丈夫」
「よかった。顔拭くから目閉じてて。あーあ、髪にも付いちゃってる」
ぼやきながら、彼は余計な部分を擦らないようにしながら自身の放ったものを拭き取っていった。髪に付いてしまったものも、引っ張らないよう優しく拭った。
「はぁ……マスターにこんなことして、俺全然高貴じゃないじゃん」
「そんなことないよ。したのはわたしの方だし」
「そんなことあるんだって。マスターにさせた上に我慢できなくて顔にかけちゃうとか最低じゃん」
顔からタオルの感触がなくなり、マスターは目を開けた。
シャルルヴィルと目が合うと、彼は申し訳なさそうに溜息をついた。先まで元気だった彼の一部は欲望を吐き出したせいか、それとも気分が落ち込んでしまったせいか、一回り小さくなっているように見えた。
「やっぱり駄目だった? しない方がよかった?」
「えっ、あ、ううん。全然!」
「でも……」
不安げに尋ねると、シャルルヴィルは眉を下げて微笑んだ。
「最低っていうのは、俺の気持ちの問題。マスターが俺のために頑張ってくれたことは素直に嬉しいよ。それに、ちょー気持ちよかったし」
「気持ちよかった?」
「すっごいよかった。最初触られたときは『あ、俺三分もたないかも』って思ったし。なんとかギリギリ我慢できたけど、何度もイキそうになって危なかった」
「そうなの? でもシャルル全然声出してくれなかった」
「お、男は! 気持ちよくてもあんまり声には出さないもんなの!」
そういうものなのか。よくわからなかったが、彼が言うならそうなんだろうとマスターは納得した。
「マスター」
抱き寄せられ、何度目になるかわからないキスを交わす。キスをしながら、マスターはゆっくりベッドに倒された。
「今度は二人で気持ちよくなろうね」
シャルルヴィルの手が一度絶頂を味わった胸に触れた。また弄ばれるのかと身構えると、その手はすぐに腹や腰回りを滑り、勢いを止めず太腿に到達した。腿を撫でながら、ネグリジェの裾をたくし上げていく。
咄嗟に、マスターは足を閉じようとした。けれどそれより先にシャルルヴィルが両足の間に身体を滑り込ませたため、叶わなかった。
刹那、今まで我慢してきたものが内から溢れて腿や臀部に伝い零れた。
キスをしてからずっと、秘めた場所は月のものとは違う潤いに満たされていた。胸を可愛がられ絶頂を迎えたときも、彼のものに触れているときも、熱いものが中から外へ出ようとしていた。下着が濡れる不快感に耐え、彼に悟られないよう隠していたが、腹までネグリジェを巻き上げられてしまってはもう隠すことができない。
内太腿を往復するように撫でていた手が、するすると足の付け根に向かっていく。指先が下着の縁に当たると、彼は下着越しに柔らかな秘部を撫でた。
「ひっ……ぃや……」
愛蜜が染み込んだ下着は、もう下着としての役割を果たしていなかった。濡れているせいで秘部にぴったりと密着しており、痺れるような悦楽を助長するだけだった。
「こんなに濡れて……気持ち悪くなかった? 脱がしてあげるからお尻ちょっと浮かせて」
シャルルヴィルは半脱ぎ状態だったネグリジェを剥ぎ、下着も足から抜き取った。
身に付けていた物を全て取られてしまい、マスターは不安を募らせた。これから自分の身に起こるであろう情事を恐れて身体が震えてしまう。
「寒い?」
否定。
「じゃあ、怖い?」
肯定。
「今日はもう止める?」
マスターはシーツに髪を振り乱しながら首を振った。
慣れない絶頂も、男性を自分の中に迎入れるのも怖かった。けれどシャルルヴィルに愛されたいという気持ちの方が大きく、止めないで欲しいと訴えた。
「シャルル……最後まで……」
「うん。最後まで」
互いの意思を確認すると、二人は誓いを立てるように唇を重ねた。
「ここ触るね。痛かったらすぐに止めるから」
シャルルヴィルはワレメをなぞり、隙間から染み出る蜜を指に絡めた。中指、薬指、人差し指の順番で濡らしていき、摩擦を軽減させてから柔らかな場所を撫で上げる。それから人差し指と薬指で固く閉ざされていたワレメを開くと、小さな入口を中指で擦り撫でた。
「だめっ……そんなとこ……」
三本の指に大事なところを好き勝手に弄られるという未知の感覚は、マスターにとって堪えられるものではなかった。まだ入口を触られただけだというのに腰が浮き、全身が痺れてしまう。
マスターが身悶えるほど、未通の蜜口からは愛蜜が零れた。シャルルヴィルはそれを十分潤うまで指に塗ると、愛しい人の中に差し入れた。
「いっ……!」
狭い場所に突然異物が入り込み、マスターはびくりと身体を震わせた。
「痛かった?」
「ううん……ちょっとびっくりしただけ……」
「ごめん、濡れてるから大丈夫だと思ったんだけど」
「心配しないで……続けて?」
彼は抜きかけた指を再び中に侵入させた。その摩擦すら軽微な刺激になり、マスターは切ない声を発した。
しなやかな指が緊張が解れていない中を擦る。第一関節を少し折り、溢れる蜜を掻き出すように入口まで引いてはまた深いところに埋め、時折抉るようにしながらマスターのいいところを探した。
「あぁん……!」
奥の一点に指が触れた瞬間、蜜壺のヒダが指を締めつけた。声色が変わったことに気づいたのか、シャルルヴィルはもう一度同じ場所を軽く叩いた。
「そこっ……だめっ……」
マスターは中から込み上げる快感から逃れようと身を捩る。けれど感じる場所に彼を捕らえているのは自身であるため、抵抗すればするだけ激しく責められ、逃れることはできなかった。
蜜と一緒に中が蕩けると、シャルルヴィルはもう一本指を中に沈めた。二本の指でマスターの弱いところを抉り、バラバラに動かしながら中を拡げていく。
彼が蜜壺を掻き回すせいで部屋には粘着質な水の音が響いた。甘酸っぱい香りも充満しており、このいやらしい音と香りのもとが自分だと考えるだけで、恥ずかしくて目眩を起こしそうだった。
「しゃる……んん……音たてちゃ、いや……」
「どうして?」
「はずか、しぃの……」
「恥ずかしい? そっか。じゃあ——」
シャルルヴィルは口角を上げ、目を細めた。
「そんなこと考えられなくなるくらい気持ちよくしてあげる」
小声で言うと、彼は指を根元まで蜜壺に潜らせ小刻みに振動させた。
「やらっ……! しゃるる……」
マスターは汗ばむ手でシーツを掴んだ。絶え間なく与えられる快楽に翻弄されてしまい、呂律が回らなくなる。視覚や聴覚が朦朧とする中、触覚だけが過敏に働いてもう一度悦びを覚えさせようとした。
「こっちの方が好き?」
身体が反れ、突き出すような形になってしまった乳房に彼は舌を這わした。強く吸ったことで充血した突起をわざと音を立てながら甘噛みし、マスターの羞恥心を煽っていく。
上と下どちらが好きかと聞かれても、マスターは頭に靄がかかってしまい何も考えられなかった。シャルルヴィルがくれるものならどちらでもよかった。
「らめ……くるの……こわいのがっ……」
二つの異なる敏感な場所を同時に責められたことで下腹部が疼き、熱いものが込み上げてくる。ぞわぞわとそれは身体を這い上がり、全身に痺れをもたらした。身体の自由がきかず、頭の先から爪先までマスターは快感に支配された。
「あ、んっ……あぁっ!」
大きな泡が弾け、マスターは身体を痙攣させ二度目の絶頂に達した。
頭が軽くなると同時に、死にも似た快楽の恐怖が嘘のように消えた。強ばっていた身体の力も抜けてしまい、大きく胸を上下させて絶頂の余韻に浸った。
「大丈夫?」
シャルルヴィルに呼びかけられると、マスターは力なく頷いた。
達したご褒美と言って、彼は瞼に軽くキスをした。
マスターの中から引き抜いた指は白く泡立った愛蜜に包まれていた。V字に開くと、それはとろりと糸を引いて滴り落ちた。
「もういいかな」
シャルルヴィルはいまだ惚けているマスターの首筋に唇を押しつけた。
「んっ……」
首筋に軽い痛みを感じ、マスターはふわふわとした感覚から現実に引き戻された。いつの間にかすぐ近くに彼の顔があり、驚きの声を上げてしまう。
彼は唇を離すと、その箇所を愛おしそうに指の腹で撫でた。何をされたのかわからず、マスターは戸惑ったが
「基地に戻るまで残ってるといいんだけど」
その言葉でやっと彼の印を付けられたのだと気がついた。身も心もシャルルヴィルのもの。その証を残されてしまい、恥ずかしさと嬉しさで顔が熱くなる。
「ねえ……身体も解れたし、そろそろ……」
囁くように求められた愛し合うことの同意。頷いたら文字通り〈シャルルヴィルのマスター〉になってしまうだろう。そうなったとき、今までのような暮らしを送ることができるのだろうか。引いていた一線を越えた未来が想像できず、マスターは同意を躊躇った。
温かい手が頬を撫でる。伝わる体温が心地いい。もっと感じたいと頬を擦り寄せてしまう。
この温かさを感じた女性は何人いるのだろうか。何人の女性が彼の手で気が遠くなるような幸福を得たのだろうか。彼に優しくされ、拒まなかった女性はいないだろう。この温もりを知っているのが自分だけではないのが今更悔しくなってしまい、マスターは一筋の涙を彼の手の中に零した。
「……マスター」
「大丈夫……して、シャルル……」
「でも……」
「いいの。お願い……」
過去に何人の女性が彼の腕の中で悦んでいたとしても、今、彼に抱かれているのは自分だ。愛されているのは自分だ。それを肌身で感じたいと心から望んでしまう。
「わかった。でも俺もう余裕ないから途中で止められないと思う。それでもいい?」
マスターは頷いた。途中で止められないのは自分も同じだった。身体は彼を求めて疼いており、飛ぶような感覚を彼と迎えなければ収まりそうにないのである。
「……少し待ってて。今スキン付けるから」
シャルルヴィルは予め用意していたスキンの封を開け、硬さを取り戻した自身に被せた。人と貴銃士の間で子供ができるかわからないが、できるかもしれないので念のためだ。
準備が整うと、彼は狭い入口に先端をあてがった。指二本とは比べられないほど大きいそれが自分の中に入るのか酷く不安になる。
「力抜いて。俺の手を握ってれば怖くないから」
互いの掌を合わせ、指を絡ませる。覆い被さっている彼が少し体重をかけると、その分身体がベッドに沈んだ。
「挿れるね」
シャルルヴィルは深く息を吐いてから自分のものを押し入れた。
「っ⁉︎」
直後、裂けるような痛みに襲われた。あまりの激痛に悲鳴を上げることもできず、空気だけが異物に驚いた身体から吐き出された。
初めて男性と繋がるときは痛いと本には書かれていた。なので覚悟はしていたが、そんな覚悟など無に帰すほど下腹部を圧迫する痛みは強かった。想像していたよりも遥かに辛く、マスターは目に涙を溜めた。爪が食い込むほど強く手を握り、彼が与えてくれる痛みに耐える。
「きっ、つ……ごめんマスター、痛いよね。もう少しだから」
シャルルヴィルは一度腰を引き、雁首が外に出る前にもう一度中に進ませた。滲み出る愛蜜が潤滑剤となっているが、未通の身体には気休め程度にしかなっていなかった。ゆっくり抽送し、徐々に中を拡げていく。
身体は彼の侵入を阻んでいた。だが心は彼を求めている。その矛盾が破瓜の痛みに耐えるマスターを更に苦しめた。今すぐこの痛みから解放されたいが懇願することができず、シャルルヴィルに身体を預けるしかなかった。
と、何かが奥に当たるのを感じた。同時にシャルルヴィルは動くのを止めた。
「……入ったよ。頑張ったねマスター」
零れる涙をシャルルヴィルは唇で拭った。懸命に痛みに耐えたマスターを愛おしそうに見つめ、やっと一つになれた喜びを分かち合うようにキスをする。
「い……た……うごいちゃ、ぃや……」
「うん。慣れるまではこうしていよう」
押し広げられた痛みを和らげるように彼は震える唇に何度も自分の唇を重ねた。
「はぁ、ん……」
「マスター……キスするの好き?」
「う、ん……好き……」
「俺も。ずっとしていたい」
甘い口づけを繰り返しているうちに、次第に強ばっていた身体の力が抜けていく。彼の熱い吐息によって今にもジェラートのように溶かされてしまいそうだった。このままずっと、戦争など忘れて互いの体温を感じ合うことができたなら……不謹慎にもそう考えてしまいそうになる。
彼のものを咥えている蜜壺のヒダは、キスをする度マスターの意思とは関係なくそれを締めつけた。破瓜の痛みはいつの間にか引いており、代わりに熱を持った欲情が、動かない彼に愛の催促をし始めた。
「動くよ。できるだけゆっくりするから」
中の具合が変わったことに気づいたシャルルヴィルは、繋いでいた左手を解いて腰を掴んだ。そして先と同様、緩やかに腰を動かした。
「んあぁ……ぅんっ……」
マスターの声色も苦痛のものから変化していた。甘く艶めかしい、愛されていることを悦んでいる声だった。
身体が熱い。中を往復する彼の摩擦で下腹部が熱くて堪らなかった。どんなに動きが緩やかであっても、鋭敏な場所には十分過ぎるほどの刺激が生じていた。刺激されるほど蜜壺は通り道を狭くしようとし、更に熱を発するばかりだった。
「マスター……あんまり締めつけると、駄目だって」
「そん、なことっ……んっ、してな、い……」
彼の愛を一身に受けたマスターの身体は、マスターのものでありそうではなくなっていた。もう自分では制御できないほど彼を欲していた。それはまるで、これまで我慢してきた感情が一気に解放されたかのようだった。彼に抱いた喜怒哀楽全ての感情が愛欲に形を変え、本能のまま動いていていた。
それに応えるように、シャルルヴィルは腰の動きを速めた。ヒダの愛撫で硬さを増した自身で、壊さないよう大切に扱ってきた恋人の大事な場所を突き上げる。
「やらっ……! ゆっくりって……」
「そのつもりだったけど——ごめん、やっぱ無理かも」
「や……シャルっ、あぁ!」
硬い物に最奥を抉られ、身体に痺れが走る。今晩だけで何度この感覚を味わったかわからない。思い出そうにも激しい抽送に気を持っていかれないように我慢するので精一杯で、そちらに回す意識は微塵もなかった。
弱いところを責められ再び飛ぶような感覚に陥りそうになった時、ぽたりと、冷たいものが熱のこもった顔に落ちてきた。
薄らと目を開けて上を見る。視界に入ったのはホテルの天井と、切なげな表情のシャルルヴィルだった。
彼の額から落ちる汗が頬に落ちる。まるで泣いているように思えてしまい、マスターは汗で額に張り付いてしまった彼の前髪を撫でた。
「ん? どうし——」
言葉を塞ぐようにマスターは人差し指で彼の唇をなぞった。意図して触れたわけではない。強いて言えば柔らかい唇が愛おしかったからだ。そんな他愛のない仕草であったが、シャルルヴィルは煽られたようにマスターの唇を奪った。
欲望のままに貪るような激しい口づけ。荒々しい口づけすら愛おしく、心のままに酔いしれた。
上も下も彼に満たされ、マスターは自身が染められていくのを感じ、高揚した。
「またっ……! きちゃうっ……!」
「いいよ……一緒にイこう」
繋いだ手を痛いほど強く握り合う。
二人の行為によって奏でられる淫らな音が部屋中に響いているが、それを恥ずかしがるほど心に余裕はなかった。
シャルルヴィルが強く奥を叩いた刹那、マスターは抗えない快楽に意識を攫われ、全身を痙攣させた。
絶頂を迎えた蜜壺は欲を吐き出し脈を打つ彼のものを尚も締めつけていたが、彼が己を引き抜くと虚しさだけを残して大人しくなった。
「マスター……」
薄れていく意識の中、最後に感じたのは唇に触れた彼の温かさだった。
・・・
「ん〜甘酸っぱくて美味しい」
持ち帰ったケーキを頬張り、シャルルヴィルは幸せそうに言った。
「マスター。はい、あーん」
フォークに乗せたケーキをマスターの口に運ぶ。それを食べると、マスターも自分のケーキを一口切り
「シャルルも、あーん」
彼に食べさせた。
ほんの一時間前までは彼の愛情で満たされていた口が、今はケーキの甘酸っぱさでいっぱいになっている。美味しいケーキは過去にも何度か食べたことがあるが、このケーキは格別に美味しかった。一口食べるだけで多幸感に包まれるのは、隣に自分よりも幸せそうにケーキを食べている恋人がいるからだろう。
「裸で食べるのちょっと変な感じ」
数分前、行為の疲れから目覚めたばかりのマスターは、彼に持ち帰ってきたケーキを食べようと誘われた。幾度も絶頂を味わったせいで頭がぼんやりしていたため、服を着るという思考にならず今に至る。食事中に胸を晒すという痴態だけは避けようと、胸元からずり落ちそうになる毛布を上に引き上げる。
「お行儀がいいとは言えないからね。でも、今夜だけはいいんじゃない? 特別な夜なんだし」
「う、うん……」
特別な夜という言葉に反応し、マスターは頬を染めた。
今はこうしていつものように一緒にケーキを食べているが、少し前までは違った。貴銃士とマスターではなく、恋人という関係で肌に触れ合い、愛し合った。夢だったのではと思ってしまうが、下腹部にはまだ彼のものが残っているような鈍い感覚があった。
「まだ痛い?」
下腹部を擦っていると、シャルルヴィルが心配そうに顔を覗き込んだ。
「ううん。違和感はあるけど痛くはないよ。シャルルが優しくしてくれたから」
そう言うと、彼は一瞬驚いたように目を見開いてから、照れ笑いを浮かべた。
ケーキはあっという間に皿から消えてしまった。できればもう一つ食べたいところだが、それは叶わないので口には出さなかった。行為の後で空腹——ということではなく、幸せを形にしたものを食べているようだったので、もう少し味わっていたかったのだ。食べきってしまったのがとても勿体ない。
空の小皿をサイドテーブルに置くと、二人は手を繋いで寄り添った。行為がなくても、こうしているだけで十分幸せだった。
「シャルルがわたしの初めての人でよかった」
「俺も。最初の女の子がマスターですっごく嬉しい」
彼の最初の女の子になれたことが嬉しく、マスターは甘えるように頬を擦り寄せた。
が、
「え?」
彼の言葉に違和感を感じ、思わず聞き返した。
「シャルル初めてなの?」
「え? そうだけど?」
意外な返答に、マスターは言葉を失った。
「何その反応。言ったじゃん『こういうのはマスター以外にはしないからね』って」
行為によって殆ど飛んで行ってしまった記憶の断片を手繰る。だがどこに消えてしまったのか全く思い出せない。
「ちょっとー。忘れないでくれない俺の初めて宣言」
「ご、ごめんなさい……で、でも! シャルル慣れてるみたいだったから、てっきり」
「全然慣れてないし。『傷つけないかな』とか『気持ちよくなってくれるかな』とか考えちゃって、不安でずっと手が震えてたんだから」
自分に触れていた彼の手は全くそんな気配はなかった。そう感じなかったのはマスターの方が不安が大きすぎて彼のことを気にしているほど余裕がなかったせいなのかもしれない。
「でも、よく女の人といたから、たくさんエッチしたのかなって……」
「あれは情報収集とか色々で、別にそういう目的で声をかけてるわけじゃないから!」
シャルルヴィルは語気を強めて反論した。怒らせてしまったと思い、マスターは肩を震わせた。
「あーあ。マスターは俺のことそういう風に思ってたんだ。ショックー」
「違うよ! あのね、これは——」
言い訳など聞きたくないとでも言いたげに、シャルルヴィルは繋いでいた手を解いてそっぽを向いた。
結局こうなってしまうのかと、マスターは狼狽えた。このままお互い誤解したままでは基地に戻るまでに喧嘩別れしてしまうかもしれない。だがどうしたら機嫌が直るのかわからず、取り敢えずこっちを見て欲しいと腕を揺さぶった。
「ごめんねシャルル。機嫌直して。こっち向いて」
マスターは涙声で哀願した。
「そうだなぁ……朝になるまでぎゅーってさせてくれたら許してあげなくもないかな」
シャルルヴィルは振り返り、口の端を上げた。
それを見て、マスターは花を咲かせたように顔を明るくした。
「おいでマスター」
「うん!」
マスターは大きく開いた彼の胸に飛び込んだ。触れ合うことで伝わる体温も、埋めた胸から聞こえる少しずつ速くなる心臓の音も心地よかった。
「マスター……ずっと、俺の傍にいてくれる?」
「うん。シャルルが傍にいてくれるなら」
シャルルヴィルはマスターを愛おしそうに抱き締めると、そのままベッドの中に潜り込んだ。
朝になるまで、二人は互いの温かさと幸せを感じながら深い眠りに落ちた。