月ではなく

『ブラウン・ベスが太陽ならシャルルヴィルは月だな』
 誰かがそう言った。いつ、誰が言ったのかは覚えていないが、その言葉だけはシャルルヴィルの記憶に残っていた。
 任務の帰り道、ふと夜空を見上げると薄黄色の月の輝きが目に留まり、シャルルヴィルは足を止めた。
「シャルル?」
 突然歩みを止めたことに驚いた様子で、隣を歩いていたマスターが尋ねた。
「どうかしたの?」
「ううん、なんでも。ただ月が……」
「月?」
 促されるようにマスターも空を見上げた。
 黒い空に散りばめられた無数の星と、一際存在感を放つ大きな月。見ている場所がただの平坦な街道というのが味気ないが、場所が場所ならきっとロマンチックだっただろう。
「俺は月なのかな?」
 突拍子もなくシャルルヴィルはそんな疑問を口にした。マスターが何故かと問うと、彼は以前誰かにそう言われたと告げた。
 ブラウン・ベスは太陽だ。いつも真っ直ぐ己の道を照らし、迷わず進んでいる。その光に導かれて共に歩む者もいる。彼の存在そのものがレジスタンスの希望の光となっているのだ。そんな彼とは正反対だから自分は月に喩えられるのだろう。シャルルヴィルは自嘲した。
「違うよ」
「え?」
「シャルルは月じゃないよ」
 月から視線をはずすことなくマスターは否定した。
 思わぬ言葉に、シャルルヴィルは怪訝そうにマスターの顔を見た。彼女が瞬きをする度、澄んだ瞳に映る月が揺れる。愛おしい人の瞳越しに見る月を、彼は素直に綺麗だと思った。
「知ってる? 月が光っているのは太陽の光を反射しているからなんだよ。太陽がないと月は輝くことが出来ないの」
 マスターは目を細めて微笑んだ。
「だからね、シャルルは月じゃないんだよ。だってシャルルは自分の力でちゃんと輝いているから」
 刹那、糸が切れる音がした。
 ああそうか、そういうことだったのか。シャルルヴィルは熱くなった胸を押さえ、何故あの言葉をずっと覚えていたのかやっと理解することができた。
 太陽がなければ月は輝けない。ブラウン・ベスがいなければシャルルヴィルは役に立たない。暗にそう言われている気がしていたからだ。対して気には留めていないつもりだったが、彼に対する否定できない憧れも相まって呪縛となっていたのだろう。
「ねえマスター。俺は君の太陽になれてる?」
 尋ねると、マスターは優しくシャルルヴィルの頬を撫でた。
「勿論。シャルルだけじゃないよ。みんな、わたしに道を示してくれる太陽だよ」
 それは違う。心の中でシャルルヴィルは否定した。自分たちに道を示してくれるのは、暗闇に光を与えてくれるのはいつもマスターの方だ。
 夜風で冷えた頬に触れる心地良い温もり。彼女の手に自分の手を重ね合わせると
「merci マスター……」
 シャルルヴィルは囁くように礼を言った。
 基地に着くまではあと少しの道のりだった。二人は互いの手の温もりが消えないよう固く結び、月が照らしてくれる道を進んだ。

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